最も一般的な、インカトレール3泊4日コースを歩いてみました。
◇クスコへ
リマからクスコへ向かう飛行機は天候の関係で普通午前中に飛びます。所要約1時間。途中からアンデスの山の中を低く飛ぶのでなかなか迫力ですが、飛行ルートによっては着陸直前に窓からマチュピチュが見えることもあるのが楽しみです。なお、谷間を飛びますが飛行機はあまり揺れません。
朝10時か11時くらいにはクスコに到着です。ここは標高3300mという高地にあるので、まず全員が高山病になります。着いてすぐは大丈夫でもあとで効いて来ますからくれぐれも無理はしないでください。特に到着初日の夜に状態が急に悪化することがありますので慎重に行動してください。ポイントは、次の5点です。
- クスコに着いたら・・・
- 1. 重いものは持たない。
- 2. 走らずゆっくり歩く。
- 3. 熱い風呂に入らない。
- 4. お酒を飲まない(ビールもだめ)。
- 5. とにかく水分を多く採る。
最後の「水分を採る」ということですが、クスコのホテルでは『コカ茶』を無料サービスしてくれるところもあるので、その場合はこれをたくさん飲むようにします。悪く言えば「コカ」は麻薬の原料ですが、アンデスでは高山病の予防薬みたいなもの。ですからガブガブ飲んで大丈夫です。
さて、わたしたちはこれから4000mを越える高所のハイキングをしますのでまずクスコの町で2~3日間しっかりと高地順応行います。高地順応とはこのように空気の薄いところに体を慣らす事ですが、ただ静かに寝ていてもいけないので、クスコの町とその周辺にあるいろいろなインカの遺跡巡りをしましょう(ただし無理は禁物です)。今日もホテルでコカ茶を飲んで少し休んだらさっそく町へ出ます。
◇インカ帝国の首都「クスコ」
クスコはインカ帝国『タワンティンスーユ』の首都ですから町全体がインカの遺跡であふれています。中央広場『プラサ・デ・アルマス』。ここが町の中心です。広場の回りにインカ時代の精密な石垣が残っています。残っているどころか広場の回りにあるレストランなどは外壁や内装にこの石垣を使っていたりしています。雰囲気は抜群です。そのほか、この石垣を自分の家の塀に利用している人もいたりして、インカ時代の遺跡が見事に町に溶け込んでいます。また、ほとんどのガイドブックに紹介されている『12角の石』もこの広場の近くにあります。
クスコはインカの首都でしたので一番見事な石組みの建物が残っています。コリカンチャという太陽の神殿がそれです。スペイン人に侵略されたときに神殿自体は壊されてしまい、いまは上部にカトリックの教会が建てられていますが土台部分は当時のものが残っています。きれいな曲線を見せるこの石垣はインカの石組み技術の最高傑作かも知れません。
さて、車で町の北側の丘のうえに向かいます。ここには3段に重なる巨大な石で作られた城壁のようなものがあります。長さ380m。使われている石で最大のものは重さ80~120トンというとてつもないもの。これがサクサイワマンという遺跡です。首都を外敵から守る砦だとか、お祭り用の広場だとか言われています。見てのとおりこの壁は直線ではなくジグザグになっています。これは稲妻の形を表しているということです。当時インカの人達は雷を大変重要なものと考えていました。雷は力です。生き物を殺す力。人を殺し、山火事を起こす恐ろしい力。同時に雷は雨をもたらします。恵みの雨。怖いけど有り難い。それが雷です。そんな雷の力にあやかろうとこの巨大な石垣をつくったと言われています。
ちょっと寄り道 「インカ時代の世界観」
インカ時代の人達は世界を3つに分けて考えていました。日本でも「天地人」などと言いますが、インカでは空(宇宙)、地上、地下の3つに分けていました。おのおの3つの世界の象徴がコンドル、ピューマ(ジャガー)、蛇です。実はクスコの町はこのピューマの形に作られているとも言われています。さらにその頭の位置に当たるのがこのサクサイワマンだと言うのです。とすると、この石の壁は砦というより、神聖なお祭りのためのものだったと考える方が自然なような気がします。
一日目の市内観光はこのくらいにしてホテルに戻ります。ところでクスコにはいいビールがあります。クスケーニャといいます。クスコのビールだから、クスケーニャ。ラベルに12角の石がデザインされていてまさに地ビール。でも残念、クスコについた日はまだ飲んではだめです。てきめんに調子が悪くなります。初日の夕食のときにアルコールを飲んで具合が悪くなる人をよく見かけます。残念ですがもうちょっとあとのお楽しみにしておきます。
◇クスコ郊外の遺跡群
さて、次の日は町の郊外へ行きます。クスコは盆地で丘に囲まれていますが、その丘をグイグイ昇って1時間くらいのところにチンチェーロという村があります。毎週日曜日に市が立つことで知られた村です。クスコから上ること500m。標高3800mの所にあります。二日目で高さに少し慣れたように思っても、さすがにここまでくるとちょっと息が苦しくなります。チンチェーロ村自体は小さいのですが、この日曜市が非常におもしろいです。この日、インディオたちがアンデスのいろいろな所からさまざまな特産品をもって集まってきます。4000mを越える高地からはジャガ芋やリャマ、アルパカの毛織物、セーター。中くらいのところからはトウモロコシ、谷を下って行った低地からはトウガラシやコカの葉っぱ、などと言った具合。こう言ったものを持ち寄って、みんなで交換し合います。物々交換。レタス1個でジャガ芋一山、なんてね。横のほうではトウモロコシを発酵させたお酒、チーチャを売っています。一見甘酒に似ておいしそうに見えますが、これはトウモロコシをクチャクチャ口でよくかんでから容器に吐き出し、発酵させたもの。飲んでみたい人は、売っているおば ちゃんの自家製と考えて、よく覚悟を決めてから飲みましょう。
ちょっと寄り道 「アンデスに住む人たち」
このチンチェーロの日曜市に集まった人達はその服装から出身の村が分かります。平らな帽子は地元チンチェーロの人、白い帽子はもう少し高いところから来た人です。観光客向けのお土産物ばかりの市が多いなかでここだけはよそ者が入り込めない地元の人達のための市です。
さて、チンチェーロから丘を下って行くと遥か眼下に流れる川が見えて来ます。ウルバンバ川と言います。さらにその川沿いに伸びる谷を『Valle Sagrado(聖なる谷)』と言います。インカの時代、最も神聖なものは太陽だった訳ですが、この川、ウルバンバ川とその谷は太陽の進むのと同じ方向に伸びていたため非常に神聖な場所とされていました。そのため、川沿いにはさまざまな大きな遺跡が残されています。例えばあのマチュピチュはこの谷の奥にあります。今日これから向かうオリャンタイタンボという遺跡も聖なる谷の遺跡の一つです。インカの言葉でこの『タンボ』とは宿場、関所を意味します。
ここには建設途中で放棄された神殿とおぼしきもの(太陽の神殿と言われています)とインカ当時の面影を残す村があります。村は石垣こそ簡単な作りになっていますが通路には水路が走り、きちんとした都市計画に基づいて作られたことが分かります。今も人がそのまま住んでいます。また急斜面の山の稜線に作られた神殿は6枚の大岩で知られています。この岩はウルバンバ川の対岸の山の上から切り出されて来たものです。距離にして数kmはあります。
まず最初に水が凍る力を使って山の上から岩を切り出して来ます。その後、エイヤエイヤ押すなり引っ張るなりして運んで来たのですが、ここは途中に川があります。この川を渡らなければいけませんが、重さ数十トンの石ですから橋は架けられません。そのまま横切ろうとしたらズブズブと沈んでしまう。で、どうしたか。自分たちの後ろに別に水路を作って『川をどけて』運んで来たのです。この発想は見事です。当時の基本的な考え方、『時間は関係ない、できるか否かが問題』というのはこういうことなんでしょう。私たちの常識が通じない世界です。
ちょっと寄り道 「オリャンタイタンボの秘密」
この神殿から隣の山(『ピンクユーナ山』といいます)を見ますと、斜面にいろいろおもしろいものが見えます。最初に気がつくのは幾つかある建物です。兵隊の宿舎だとか、穀物倉庫などと言われています。この建物の辺りの岩山の斜面には巨大な人の顔が彫り込まれています。帽子をかぶって大きな荷物を背負ったこの男の人はインカの一番偉い神様『ウィラコチャ』の使いだと言います。さらに驚いた事に太陽光線の角度によってその目の部分に影が差し、閉じていた目が次第に開く、そういうふうに見えるように作られています。
また、山のもっと上の部分にはインカの王様の横顔が彫られています。毎年6月21日、南半球では冬至にあたりますが、この日、朝日はこの横顔の部分から昇ります。つまり昔の人達は暦を正確に知っていたのです。この遺跡にはこのほかにもいろいろな仕掛けがあって暦が分かるようになっています。こういった暦を正確に知るためには長いこと記録をとりつづけなければなりません。ということは当時、おそらく専属の人間が毎日せっせといろいろな自然現象を記録していったことが想像できます。こういったことは社会に余程の余裕がなければできることではありません。当時の様子の一面が伺われます。
◇インカトレールに出発
翌日はいよいよハイキングに出発です。オリャンタイタンボから川沿いにさらに車で小一時間走った所、チルカという村がスタートです。これ以上先には道路は通っていないのでこれ以上先へは車では進めません。村では既にポーターたちが集まってわたしたちの到着を待っています。ポーターたちは地元のインディオたちです。わたしたちが車から降り、歩く準備をしている間にガイドがポーターたちに荷物を割り振っていきます。彼らは共同装備のほか寝袋や着替えと言った歩くのに必要ない個人装備も運んでくれます。これからマチュピチュに着くまで毎日ポーターたちは常に先回りしキャンプを設営してお茶を用意しわたしたちの到着を待っていてくれます。ですからわたしたちはデイパック一つに雨具と水筒、カメラだけ持って身軽に歩いて行けるわけです。
ハイキング1日目
初日は乾燥した道を約16km歩きます。この辺りの標高は2800m程度と低めですが、日差しが強く水分をきちんと取っておかないと調子を崩すことになります。あたりの風景は砂煙の舞う半砂漠。サボテンや身の丈ほどのリュウゼツラン(?)が見られます。足元は砂漠でも見上げると氷河を頂く5000~6000m級のアンデスの山々が見えます。この地域の霊峰のひとつベロニカ峰が目を引きます。この山はこれからこの先マチュピチュまで行く間、見え隠れします。
初日のキャンプ地に到着すると各自のテントは既に張られ、洗面器にはお湯が用意されています。ポーター達が先回りして準備してくれているのです。とりあえず手や顔を洗ってテントに転がり込んで一休みします。頃合いを見計らってガイドが呼びます。ティータイム! 一際大きなダイニングテントでお茶の時間です。ここアンデスではお茶と言えばコカ茶。もちろんコーヒーや普通の紅茶もあります。この日のお茶受けはアンデス風炒り豆。一粒が親指の爪ほどもあるおおきなトウモロコシを煎ったものです。虎のような縞もようがついていてわたしたちには目新しいものです。ポップコーンとは種類が違うのではぜることはありません。これをポリポリ摘まんでお茶をお代わりするころには日が暮れます。
夕食も同じダイニングテントでとります。グループ専属のコックさんが用意してくれる食事はペルー料理だったり普通の洋風のものだったりしますが、いずれも前菜からメイン、デザートまであります。ペルー料理はあまりなじみがないかも知れませんが一般にペルーの食事は日本人に合います。と言うのはペルーには古くから中国人の移民が入っていて中華料理の影響を受けているからです。といってもそのほかの純粋なペルー料理もすばらしく、特に魚介類を使った料理などは試す価値があります。
ハイキング2日目
翌日、ハイキング2日目は、今回のルート中でもっともきつくなります。谷合のキャンプ地から一気に峠を目指します。1200m登って、次いで500m下ります。この程度の登りは日本でもありますが、侮ってはいけません。ここは標高が違います。登り始める地点が既に3000m。そこから1200m登って4200mの峠を越える訳です。
最初、クスコでしっかりと高地順化しておかなければいけないといったのはこのためです。初日に体調を崩した人にはここはつらいことになります。でも大丈夫。ここの登りだけは馬が使えます。自分で『こりゃだめだな』と思った人は前の晩か当日朝、歩き始めてからでもガイドに馬の手配を申し出てください。山の中いたるところにインディオが住んでいて、彼らが馬を貸してくれます。
登りは5-6時間かかります。こちらがデイパックひとつでフーフー言っている横を、ポーターたちは30kg位の荷物を背負ってグイグイ登って行きます。しかも足元はサンダルばきです。本当に彼らは強い。後で聞いたら、何ももっていなければここを1時間以下で登れるそうです。かれら高地に住む人達は赤血球の数が平地の人間の倍あるといいますからなるほどと思いますが、それにしてもすごい。試しに荷物をもった彼らの後をついて行ったことがありますがあっと言う間に振り切られてしまいました。
しばらく登って行くと視界が開けて来ます。立ち止まって見下ろすと谷底深くに川が見え、あそこからここまで上って来たのかと思うとちょっと感動します。でも振り返って見上げると、『ウワ、まだあそこまで!』となります。
さて、峠の頂上付近でお昼ご飯になります。コックさんがポーター同様全員の食事を背負って先回りして待っていてくれます。上って行くと向こうのほうで手を振って『こっちだ、こっちだ』と呼んでくれます。まずお茶をいただき、お皿一杯にお昼をよそってくれます。この日のメニューはペルー料理『パパアラワンカイナ』でした。ゆでたジャガ芋をピーナツソースで食べる、代表的なペルー料理です。
峠の頂上です。標高4200m、目の前の5000m峰がすぐそこに見えます。峠に立つと反対側から吹き上げる風が冷たく心地よいです。この風は遠くアマゾンからの風。湿気を含んだままこんな高いところへ吹き上げて来たので霧となって辺りを包みます。この湿気のお陰で峠の反対側は緑が急に増えて来ます。
峠の反対側を下って行くこの辺りからインカ時代の石畳が始まります。空気に湿気が含まれ、周囲の植物も増えて来ます。急な石段を慎重に、谷間にある次のキャンプ地まで下って行きます。
2日目のキャンプ地は標高3500mにあります。見上げると今下って来た道と明日のぼって行く斜面がV字型に伸びています。振り返って遠くを見るとかなたに連なる5000m峰が見えます。ちょうどお茶の時間のころに夕暮れになります。カップをもってテントを出てしだいに暗くなって行く山や雲を見ると疲れを忘れさせてくれます。
ハイキング3日目
3日目。今日は朝一番に300mの急な登りがあります。それを意識して朝食を少し軽目にします。食事を早めに切り上げて眠っている体を起こすためにウォーミングアップを十分にします。上って行くと斜面の中腹に半円形の遺跡があります。名前を『ルンクラカイ』もしくは『ルントゥラカイ』といいます。ケチュア語で『半月』という意味です。この遺跡はかつて関所であり、休憩所であり、宿屋だった所です。ゆうべ私たちが泊まったキャンプ地はインカ道が十字に交わる場所で、さまざまな人達が思い思いの方角に歩いて行ったのでしょう。その交通を監視、管理するのがひとつ。また、当時は『チャスキ』と呼ばれる飛脚がいて駅伝のようにリレー形式で王様の伝令を各地に伝えていたのですが、このチャスキの詰め所でもありました。中は幾つかの部屋に仕切られある部屋では出番を待つチャスキたちが控えていて、別の部屋では旅人が食事をしていたのかも知れません。こう言った休憩所は当時各地にありましたが、どこも食料を蓄えていて通る人達に振る舞っていました。ですからみんな食料を持ち歩かなくても旅を続けられたと言います。
さらに小一時間ほど上ると峠に出ます。二つ目の峠越えです。標高約3800m。峠から東を眺めると、はるか遠くに雪を頂いたアンデスの山々が見えます。天気が良ければ『プーマシージョ(5950m)』というインカ時代の聖山のひとつが見られます。
峠を下って行くと霧の中から大きな遺跡が浮かび上がって来ます。『サヤクマルカ』といいます。下に続くインカ道をポーターたちが歩いているのが見えます。この辺りから道はしっかり造られた石畳の『舗装路』となります。さて、この遺跡は標高3500mの尾根の上に建てられています。インカの時代には老人たちは『知恵袋』として尊重されていて、この建物にはそんな老人たちが住んでいました。そのため廊下、階段には手摺りがつけられています。もっとも、現在ではこの手摺りは疲れ切った私たちの役に立っています。ところでインカトレール中の大きな遺跡にはみな水道がつけられています。さっきの『ルンクラカイ』にもついています。日本でも稜線上の山小屋は水の確保に苦労していますが、500年以上前に造られたこの『サヤクマルカ』にも稜線上にあるにもかかわらず水道がついていました。どうやったのでしょうか。驚いたことにさらに高いところにある泉から延々と水路を造って水を引いて来たのです。水路の大きさは雨樋くらいですが、それを山の斜面を横切って、橋をかけてずっと引いて来た訳です。当時の測量の技術レベルがうかがわれます。さて、この水路、いまは壊れていて使えま せんが、昨年から修復を始めています。水路に詰まった泥をかき出して、崩れた部分を補修していますから、今頃は元通りになって、チョロチョロ流れているかも知れません。
『サヤクマルカ』を過ぎる辺りから緑が一層濃くなります。初日はサボテンの中を歩いていたのが、いまではササやぶを横目に苔むした石畳を踏んでいます。ここは雨はさほど多くないのですが、ジャングルからの湿った風が木々に十分な水分をもたらしているのです。尾根の上を歩いていると左手から風とともに舞い上がって来た霧にあっと言う間に包み込まれてしまいました。まるで墨絵のような風景です。
黙々と歩いて行くと霧の中から人の話し声とテントのシルエットが浮かび上がって来ます。今日のキャンプ地、『プユパタマルカ』です。標高約3500mの稜線上にあるこのキャンプ地からはすばらしい風景が広がります。正面には5000m級の山々が連なります。眼下にはウルバンバ川と深く切れ込んだ『聖なる谷バジェサグラード』が蛇のようにくねっています。集落はアグアスカリエンテス村。温泉地です。正面はマチュピチュ山。わずかに頭だけ見えているのがワイナピチュ山です。この谷を左の方角にたどるとマチュピチュへ続いています。振り返ると『サルカンタイ峰』クスコを守るもっとも大事な二つの霊峰のひとつです。(もう一つはクスコからみて東の『アウサンガテ峰』です。)さらにキャンプ地から100mほど下には『プユパタマルカ遺跡』が見えます。この遺跡も他のインカの遺跡と同様、見事な石組みをもっていますが、さらに驚いたことにここは当時の泉が今もちゃんと流れています。今日のキャンプ地で使う水はこの泉から組み上げて来ます。約500年前の泉が今だに実用に耐えている訳です。
ハイキング4日目
さて、一夜明けてハイキング最終日。今日は午前中の2時間で一気に1000m以上を下ります。が、出発前にちょっとしたセレモニーがあります。ポーターたちは今日のキャンプ予定地まで荷物を運ぶとそのまま自分たちの村へ帰ってしまいます。ですからここで彼らとはお別れとなります。朝食後記念写真を撮ったり、ちょっとしたお土産を渡したりします。
ちょっと寄り道 「アンデスのポーター達」
インカトレールツアーでは大勢のポーター達が荷物を運んでくれます。彼らは地元の人たちです。サンダル履きのまま30kg以上の荷物を風呂敷にくるんでグイグイ歩いていきます。その勢いはすさまじく、後ろから列をなして近づいてくると地響きがするほどです。一度彼らに「この仕事はつらくない?」と聞いたことがありますが、その答えは「大変だけど、うるさいカミさんから離れて仲間と一緒にいられて楽しい」というものでした。アンデスでも女の人は強いみたいです。
いよいよ下り始めます。急な石段が気の遠くなるような長さで続いています。踏み外すと危ないのでゆっくり一段ずつ確実に降りて行くようにします。急ぐことはありません。
途中に『ウイニャワイニャ」という遺跡があります。見事な段々畑を持ったきれいな遺跡です。ここにも泉があり現在補修が進んでいます。やはり今ごろには元どおりになっていることでしょう。ここはマチュピチュから近く、マチュピチュに住む人達(恐らく相当偉い人達だったのでしょう)のための食料を作っていたと言われています。非常に保存状態が良い遺跡です。
ここから先は平坦路です。マチュピチュ山の北斜面をトラバースして行きます。細かく上り下りを繰り返し、最後、石段の先に門のようなものが見えて来たらゴール間近です。この門は「インティプンク(太陽の門)」と呼ばれている場所です。毎年夏至の日の朝日はこの門を通り抜けてマチュピチュ遺跡にある太陽の神殿に差し込みます。つまりここはマチュピチュ遺跡への表玄関なのです。汽車でやってきた普通の人達が通る入り口はさしずめ勝手口といったところでしょうか。
◇とうとうマチュピチュ遺跡に着きました。
インカトレールのゴールです。歩き始めてからここまで4日かかりました。この距離をインカの人達は1日で歩き抜いたと言います。一体人間の限界とはどのくらいなのでしょうか。これでこのハイキングはおしまいです。あした遺跡の中を詳しく見て歩きます。
マチュピチュの遺跡は中央に築かれた壁を境に大きく二つの部分に分けられます。片側は都市部、住居や神殿などがあります。もう片方は畑。急斜面に段々畑が作られていました。さきほどインカ時代にはコンドルは空の象徴、ピューマは地上の象徴と言いました。ここにその二つの象徴が作られています。分かりますか。このワイナピチュ峰の山腹にピューマの顔が描かれていて、山全体がうずくまるピューマの形だというのです。どうでしょう。では、コンドルはどこでしょう。ワイナピチュ峰の左側の小さな山。これがコンドルが今まさに飛び立とうとしている形になっています。そう見えますか。
さて、このワイナピチュ峰に登ってみましょう。断崖絶壁のように見えますがちゃんと頂上まで道がついています。なるほど、頂上付近に何やら段々畑のようなものも見えます。つづらおれの道を登ること40分。頂上近くのテラスに着きました。見下ろすとマチュピチュ遺跡は遥かです。鉄道駅へ向かうバス道が見えます。これが頂上です。大きな岩が倒れていて何かを作ろうとしていた様子。それとも壊れてしまった後なのでしょうか。辺りの山は深い緑に包まれています。もうジャングルが近いのです。
マチュピチュ遺跡についてはさまざまな説が出されていますが、いまだほとんどが謎です。まだほとんど何も分かっていないのです。逆に言うと、どんなに突飛な仮説を立ててもよいわけです。ですから宇宙人が作った、なんて話も出てくる訳です。皆さんもマチュピチュへ行かれる前に自分なりの仮説を立てて、向こうでそのアイデアを披露してみてはいかがでしょう。そうしてガイドの困った顔をみるのもまた楽しいかも知れません。遺跡をすみずみまで見たらバスと汽車を乗り継いでクスコへ帰ります。暗くなるころホテルに到着です。
インカトレールのベストシーズンは5月から10月頃まで。ペルーではこの時期は冬ですが、乾季に当たるので天候が安定しハイキングには向いています。今日お話ししたコースですと日本からの所要日数は13日程度。また、途中リマから寄り道してナスカの地上絵を見に行くこともできます。
