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南米チリを流れるビオビオ川は、世界的に有名なホワイトウォーターゲレンデだ。深い渓谷部に次々に現れる、美しく難易度の高い瀬、そして何メートルもの落差を持つ落ち込み・・・。
ラフティングの面白さは、カヤックではとても下り切れないような瀬を、ホワイトウォーター経験のない者でも存分に体験できることだろう。日本ではなかなかお目にかかれない、パワフルなホワイトウォーターリバーを、ラフトボートで下った5日間のツアーレポートをお届けする。
◇真夏に雪景色を見ながら
南米チリ、サンチャゴ、2月上旬、真夏。朝1時間遅れてオフィスへ行くと、友人のツアーガイド、リカルドからファクスが入っていた。相変わらず汚い手書き文字だ。読んでみると「明日からビオビオ川ツアーを出すが一緒に行かないか」とある。ビオビオ川はサンチャゴの南約500キロのところを流れている、世界でも3本指に入るホワイトウォーターゲレンデだ。彼はそこでラフティングツアーを持っている。前から1度連れていってくれと頼んでいたのだか、今回は空席ができたようだ。さっそく電話をかけOKの返事をする。ついで30分かけていいわけを考えると社長に話し、1週間の休みを取った。
南へは汽車で向かう。夜行寝台。1930年代の車両をいまだに使っている。つくりはしっかりしていて素材の木も非常に美しいが、いかんせん揺れる。食堂車で夕食をとっている時に揺れ、ビール瓶が倒れるのには閉口した。所要10時間、待ち合わせ場所のビクトリア駅にはまだ暗いうちに到着。ここで一行と落ち合う。参加者8人、北米人が多い。バンに乗り込み東へ向かう。いつまでも暗くて寒いと思っていたら、今日は曇っている。30分ほどで舗装が切れ、車はアンデス山中のつづら折れの悪路を上っていく。とうとう雨が降り始めた。冷たい雨だ。息が白い。明日からの水遊びのことを考えると情けなくなってくる。さらに高度を稼ぐと風景が一変する。アラウカリアという、この地方特有の松が1面を覆う。この木は南部チリの象徴とされ、国の特別保護指定を受けているが、年々数が減っているといわれる。公用文書の透かしにもデザインされているこの木を、このとき初めて見た。峠を越えるあたりで、雨は雪に変わった。1面のアラウカリアの森が薄らと雪化粧しているさまは、墨絵の世界を思わせる。しかし、日本でいえばお盆にあたる夏真っ盛りという今の時期に、雪景色が見られると思っていなかった。
峠を下りロンキマイの村で最後の買い物する。この先ツアーが終わるまで、お金を使う機会はない。村から外れ北に走る。右手に川が見えてくる。ビオビオだ。川幅30メートルほどのあっけないほど穏やかだ川だ。15分ほど走ったカラコレスのつり橋のたもとに、他のスタッフたちが待っていた。ビクトリア駅から2時間半のドライブ。河原にテントを張り、荷物を放り込ん。午後を思い思い時間をつぶす。釣りをするもの、本を読むのさまざま。すでに2艇のラフトは準備されて川に浮かべてある。エイボン社製、全長4メートル、オールリッジドタイプ。7つの浮力体からなり、底面も浮力体になっている。底面の周囲に直径5センチほどの穴がに20~30個開いていて、もし水が入っても自動的に排水する仕組みになっている。実はこれが後で効いた。
一夜明けると深く霧が立ちこめていた。対岸も見えないほどの濃い霧が川とともにゆるりと流れていく。山の稜線上に太陽がかろうじて輪郭を表して浮かんでいる。テントから顔を出したとき空気は、夏とは思えないほど冷たい。凍える手で朝食を済ませキャンプをたたんだ後、ガイドによるレクチャーを聞く。艇の上での基本ポジションから始まり、瀬に入った時の指示とその意味、転落したときの対応など細々とした注意がなされる。このときばかりはみんな真顔だ。2艇に分乗して出発。これから4日間の船旅が始まる。
出発してほどなく霧が切れて日が差し始めた。気温が上がり水遊び日よりとなる。川旅の1、2日目はクラス2~3程度の瀬しかなくのんびりした船遊びだが、3~4日目はクラス5の瀬が連続する「ビオビオ」の旅となる。実際この日は昼食をはさんで4時間ほどの川下りの間、水に濡れることをほとんどなかった。艇のヘリに寝転がり、遠くの山なみや川辺の水鳥などを眺めていると日常がしだいに遠ざかっていくのがわかる。午後4時ごろジャンケン付近で上陸。キャンプ地へサポートカーが先回りして、すでに夕食の準備を始めている。テントを張ってから、みんなでキャンプ地近くの沢で水遊び。ロープを張って流されないようにしながら体を洗うのだが、水は1分と入っていられないほど冷たい。しかし不思議と寒くはない。昨日の雪がうそのようだ。
明けて3日目、晴天。空には雲ひとつないが、谷間のキャンプ地にはまだ朝日は届かない。フライシートにひどく夜露が下りている。やはり夜は冷えるようだ。向こうで湯気が上がっている。目が覚めた時にお茶の準備が整っている、このぬくもりが心地よい。今日は出発直後にひとつと午後にひとつクラス3+の瀬があるほかは、ただ川面に漂う旅となる。正面前方に雪をいただいた山が見える。カジャキ火山だ。頂上からかすかに噴き出している煙が、風に流され一直線に伸びていく。瀞場をゆるゆる流れていく間、戯れに川に飛び込んでみる。水は深い緑色をたたえていて、思いのほか澄んでいる。下流側をむき、両手を横に広げて両脚を前に伸ばす。転落したときのフローティングポジションだ。この格好で流されていき、岩が迫ってきたら足で岩をけり左右どちらかに避けていく。実践する機会のないことを祈りつつ、とりあえず練習だけはしておこう。このとき気がついたのだが、水からあがってしばらくは、異常に寒気を感じる。空気が乾燥しているため、ぬれた衣服が非常に速いスピードで乾いていき、体温を一気に奪うためだろう。それが証拠に5分ほどして衣服があらかた乾いてしまうと、寒気は収まる。こういった気候の土地では装備を選ぶことが大切だ。
ケプカ近くで上陸、キャンプ。ここでもキャンプ地近くの沢で水遊びをする。昨日の沢より流れがきつく、小さな滝ができている。みんなそこに潜り込んで「泡風呂だ」などと言ってはしゃいでいる。やってみると気持ちいいが、それ以前に水が冷たくて長居はできない。早々に上り夕食までの間、テントの中で本を読んでいると、妙にページがめくりにくい。手の感触が違ってきているのに気がつく。みると手のひら、特に指先の皮が厚くなっている。手を広げようとしても皮が突っ張っていて完全には伸ばせない。1本1本のしわが深くなり、指先はラフトの浮力体のように張り詰めて硬い。街にいるときは決してこうはならないか、野外に出ると真っ先にその変化が手に出る。見慣れない、しかしなつかしい自分の手だ。
◇ビオビオが牙をむいた。
4日目、晴天。空にはやはり雲ひとつない。ツアーは今日から本番。両岸を溶岩性の崖に囲まれる深い渓谷に入っていき、連続するクラス5と格闘する。キャンプを手早くたたみ、川辺に降りていく。すでに2人のガイドは艇の準備に余念がない。浮力体にエアを足し、タイダウンベルト締め直している。また今日からクイックレスキューとしてカヤックが一艇同行する。このカヤック常に先行し、瀬の下流で転落者の救助および装備の回収にあたる。クルーはライフジャケットのほか、今日からヘルメットを着用する。またクラス5ではガイドのオールだけでは操艇がきかないので、各自パドルを持つ。こういった一つ一つが昨日までと異なる。ガイドがあらためてプリーフィングを行う。注意事項のひとつひとつに説得力があり、無駄口をきく者はいない。目に見えるほどに緊張が張り詰める。ガイドがいつもよりも無愛想に「バモ(行くぞ)」といった。戦闘開始である。
◇ジャグバスター (クラス5)
幅20メートルほどの峡谷が「く」の字に折れ曲がっており、そのちょうど曲がり角が滝になっている。ここが最初の難関「ジャグバスター」だ。曲がり角の内側に崖が約5メートルはり出していて流れが急に速まる上に、流れの中央に大きな岩があり流れを二分している。左コースは流れがいったん外側にあたった後「U」字型の滝となり一気に落ち込んでいる。落差4mほどだろうか、滝つぼのすぐ先にやはり岩があり、避けようがない。こちらのルートは無理だろう。右ルートは左ルートと比べると緩やかなのだが、滝がクランク状になっている。最初の右折ポイントをしくじるとそのまま向こう側に落ち、2メートル下に待ち構えている岩にたたきつけられることになる。右の岩ぎりぎりに進入していく。狭いのでガイドのオールはほとんど使えない。各クルーは流れに負けないように、瀬の中でも必死にパドリングしなければならない。その先の左折ポイントは、崖際で1.5メートルの落ち込みになっており、右側のオールをもぎ取られ操艇不能になる恐れがある。この落ち込みを抜けたところで先程の左ルートからの流れと合流し、激しく右に寄せられるので休まず漕ぎ続け、瀬から脱出しなければならない。短いが非常に忙しい瀬である。
◇ミルキーウェイ(クラス4)
名前から想像がつくように、非常に長い区間にわたってホワイトウォーターが逆巻いている。幅25-30メートル、長さ約100メートルにわたりクラス3程度の瀬が続く中、中央と後半部に1.5メートルほどの落ち込みがある。この落ち込みを越えるポイントは流れ中央やや右側のみ。決して激しくはないか、1面に隠れ岩があり、迷路のような瀬の中で的確な操艇が要求される。前半部で操艇を誤り左側に寄せられると。落ち込み分で岩につまずき、たやすく転覆してしまうだろう。もし転落したら相当長い距離を隠れ岩と格闘しながら流されていかなければならない。グレードの割に危険な瀬である。
◇ロスヤック(クラス5)
速く、激しく、複雑な瀬。操艇が非常に難しい。幅約25メートル、長さ40-50メートルの間に3段に落ち込んでいるが、特に最後のものは落差3メートルはあり、正しく滝だ。さらに中央に3メートルほどの岩があるのをはじめとし、ことごとくルートを遮るように2-3メートルほどの岩が突き出している。そのため、いずれのルートも激しい流れの中で、S時を描くようにして抜けていかねばならない。
大きく分けてルートはふたつ、中央ルートと左ルート。右ルートは狭く、カヤックなら抜けられるが、ラフトでは無理だ。左ルートは本流から外れているため、中央部より流れが緩いが、その分狭くオールがきかず操艇が困難だ。
実際見ている目の前で、一艇がこのルートに挑んだが最初の落ち込みで右のオールを岩にもぎ取られてしまい、なすすべなく続く2つの滝にのまれていった。中央ルートは本流に乗ってさらに激しい。ポイントは最初の落ち込みを抜けた直後にそびえている大岩を、いかにやり過ごし、2番目の滝に備えるかだろう。別の一艇が中央ルートに挑んださまは、壮絶で言葉を失った。この艇は3人構成、中央でガイドがオールを操作し、2人が前に乗り込んでパドルを握る。最初の落ち込みで左のクルーがバランスを失い、もう1人が助けに行ったため、左過重のまま中央の大岩に乗り上げて、もんどり打って左の滝へ落ちていった落差4メートルはあったろう。全長4メートルのラフトが宙を舞い、波にのまれ完全に水没するの、このとき初めて見た。
これで一気に怖気づいた。ここにラフトで挑むくらいなら、ジェットコースターにシートベルトなしで乗った方がましだ。ふだん陽気なガイドが、無口になっているのが一層恐怖心をあおる。下見を終え岩場を艇に戻る途中、足元をちょろちょろ走るトカゲを踏みそうになるのあわてて避けた。その時、逃げるトカゲを見ながら「無駄な殺生は避けたのだから無事に下らせてくれ」などと妙に信心深くなっていたくらいだから、よほど怯えていたのだろう。艇に戻り、ガイドにルートを尋ねた。中央ルート、岩の右を回っていくという。白状すると、この時ヘルメットをかぶる手が震えていた。ガイドが低い声で説明する。
「操艇がポイントだ。流れに負けず漕げ。」
「突っ込む時は必ず前方加重だ。もし岩に乗り上げたら、下流側に加重しろ」
「もし落ちたら下流しっかり見て、岩を避けて流されていけ」
そしてオールをぐっと1漕ぎし、流れに出ると大きく一言「アテント!(集中)」と指示を出した。
流れが次第に速くなっていく。滝の音が腹に響くほどになる。
「アデランテ!(漕げ)」
ガイドの指示が飛ぶ。
「アデランテ、アデランテ!(もっとだ、もっと!)」
視界から水面が消える。滝だ!
「コントラペッソ・アデランテ!(前方加重!)、フィルメ!(つかまれ!)」
とっさに目の前のロープにつかまろうとした瞬間、激しく突き上げられ横ざまに飛ばされる。艇の左側にたたきつけられながらも、まだ落ちてはいないと安堵する。右を見ると3メートル横を1人流されている。
「コントラペッソ・イスキエルダ!(左加重!)」
言われて左を見ると、横向きになった艇の後部が例の大岩に乗り上げている。このままではさっきの艇の二の舞いだと思ったが、体が動かない。次の瞬間、艇後部が右に流され、滝に突っ込んでいった。「コントラペッソ・・・」。指示の後半は聞こえなかった。艇の底に張り付くことしかできない。頭から水をかぶり苦しくなって顔を上げると視界の端に岸から見ている人たちが映る。見られているとは分かっていても、格好つける余裕などない。
「アトラス!(バック!)」
右を見ると、3番目の滝から突き出している岩に、艇が横向きのまま流れ寄せられている。気がつくと、まだ右手にパドルを持っていた。
「バックだ!もっと漕げ!」
格好などどうでもいい。ただ恐怖心から必死に漕いだ。滝が迫る。
「前方加重だ!突っ込むぞー!」
後はよく覚えていない。どれぐらいたっただろう。気が付くと流れが静まっている。無事だったようだ。立ち上がってあたりを見ると、流されたクルーも30メートルほど先でレスキューカヤックに救助されている。よく見ると靴を履いていない。流れにさらわれたな。すぐ横でガイド大声で笑っている。彼は彼なりに緊張していたようだ。私はといえば、体の震えがしばらく止まらなかった。
◇ラバ・サウス(クラス5)
ただひたすら速く、激しい瀬。川全体が右に大きく弓なりに曲がっている中、左側の本流に乗って、15メートルほどの間隔で3段の滝が連なっている。滝の落差は1段目から順に1.5メートル,2メートル,3メートル。瀬の中央部と右側の流れは緩いが、岩の多くて通れないのでルートはひとつ、左の本流に乗っていくしかない。ここは障害となる岩がない代わり、流れは速く激しい。左側の壁から3メートルくらいのところ抜けていくべきなのだろうが、滝に飛び込むたびに右へ右へと漕路修正しなければ岩璧に激突してしまうので、素直に突っ込んでいってはいけない。
ここでも壮絶な場面が見られた。前に2人、中央にガイドを乗せたラフトが本流に乗って進入してきたが、1段目でバランスを崩し、左の壁際に寄せられたまま、2段目の滝へ落ちていった。そのため左のオールをもぎ取られ、はずみでガイドが左に飛ばされ艇と壁の間に転落する。前の2人が気がつかない。何も知らずに操る人のいない艇にしがみついたまま、3段目に突入していった。思わず目を覆う。滝つぼで大きくバウンドした艇は右に大きく傾いだが転覆しない。逆にそれにより進路が右により、壁から離れる格好になった。このとき、左舷にガイドがまだしがみついているのが見えた。寒気が走る。艇と壁に挟まれたらただではすまない。艇は再び壁に寄せられる。この時ようやく前の2人がガイドの転落に気づき、救助に向かう。しだいに遠くに流れ去っていく艇の上にガイドが引き上げられる。今はもう遠くて様子は分からないが、ガイドはうずくまってまま、いつまでも立ち上がらなかった。
◇しくじった!
ラバ・サウスの100メートルほど下流で上陸、昼食をとる。午前中に一気に4つの瀬をこなしたため、気分が非常に高ぶっている。食事をするのももどかしく、ただいたずらに岩場を歩き回った。いっそのこと崖の上から川に飛び込んでしまいたいほどだ。
昼食後、休憩地点から約50メートル下流、高い崖の下の日陰部分に、いきなりクラス4の瀬が現れた。落差1.5メートルほど滑り落ちた後に1メートル以上の高さの波が白く逆立っている。その先流れは15メートルほどで壁に直角にぶつかり左右に分かれている。本流は右に流れ、左は小さな入り江の中で直径7メートルほどの円を描いて渦巻いている。これにつかまると厄介だが、案の定はまった。滝を前方加重ですべり落ちていき、逆巻く波の基部に頭から突っ込む。しばらく泡と戯れた後、まず目に入ってきたのは目前に迫る崖であった。「アトラス!」。ガイドの叫び声が聞こえた時は、すでに崖に正面からぶつかっていた。はずみで大きくバランスを崩した艇は左の入り江に吸い込まれていく。「アトラス!」。再びガイドが叫ぶ。あわててリバースストロークを入れるが、艇には膝まで水がたまっていて思うように操艇できない。しかし、手を休めて水を汲みだしている暇はない。そんなことをしていては周囲の崖に擦り付けられて転覆してしまう。このとき船底に開いている穴が効いた。崖に寄せられそうになるのをリバースで必死に耐えて水が抜けて身軽になるのを待ち、水が完全に抜けたところでふたたび本流に漕ぎ出し何とか崖の右側に漕ぎ出ることができた。強烈な瀬の後、油断をするとこういうことになるという見本だ。
もう1つ2つ瀬を抜けて、キャンプ地に上陸。今日はもうおしまい。体が重い。足元がふらつく。漕いで、踏ん張って、しがみついてまた漕いで、などということを繰り返した1日。その間、始終水をかぶっていたが、寒さを感じる暇などなかった。今日はよく働いた。テントを張る元気もなく、キャンプ地の木陰に座りこんでいると、スタッフがまた水浴びの支度をしている。木陰にいても暑くてかなわないので付いていく。今日の「風呂」は壮観であった。30メートルの高さから一気に落ちる滝の下が直径5メートルくらいの滝つぼになっている。ここで泳ぐ。水は今までになく冷たい。10秒も入っていると、体の芯から絞りあげられるように身震いがする。3回くらい出たり入ったりして体を洗い、いざ出ようとしたら手がかじかんで岩をつかめず這い上がれなくなっていた。今日は最後まであわてさせられる。よほど疲労したのか、夜中に少し熱が出た。
最終日、5日目。今日も連続するクラス5のセットを奮闘することとなる。昨日1日でうちのめされた私は、今日は朝から気が重い。要するに怖気づいていた。しばらくは体がこわばって、クラス3程度でも妙に振り回されていた。こんなことで大丈夫なんだろうか。
◇レイ[キング] (クラス5)
昨日下った「ジャグバスター」に似た操艇が要求される瀬。やはり「く」の時になった角に滝があるのだが、ここで川幅が一気に10メートルほどに狭まり、流れが急に速くなる。左半分は落差約4メートルの滝になっており、右側は「U」字型の滝になっている。ルート中央、2つの滝の間を滑り落ちていく、幾分緩やかな滝を狙う。本流から右に鋭角に流れ下った先の、落差1メートルの滝で今度は左に鋭角に折れる。転進する角度がきつく「Z]字型に流れ落ちていかねばならない。
「U」滝を避けるために左岸よりをリバースストロークしながらゆっくり進入していってポジションを探る。ポイントに達した瞬間。クロスパドルターンで艇の向きを一気に変え滝に突入する。滝の3メートル先には岩壁が迫っていてまるで壁に直接突っ込むような恐怖感がある。滝つぼに落ちる瞬間に一瞬だけ前方加重ポジションをとるほかは、常にパドリングしていなければならない。艇後部がまだ滝に残っているうちに左へクロスパドルターン。右側では岩壁を殴りつけるようなパドリングになる。狭くてガイドのオールはほとんど使いない。クルーのチームワークが問われる。
◇レイナ[クイーン] (クラス5)
15メートルほどの川ほぼ横一線に滝が形成されているが、唯一左端が流れ込みになっていて、ここがルートとなる。しかし、左側上流部には岩が張り出しており、すんなりと進入ラインには乗れない。そこでリバースストロークでこらえながら滝のヘリを5メートル程滝と平行に移動してポジションを探る。
呼吸を整え、フォワードに切り替え突入する。この流れ込みは本流に対し斜めに入っているため、下ったとたん右からの流れをまともに受ける。それをこらえながら、再びリバースを入れ、本流中央で踏ん張っている岩を避け、ルートを左寄りに戻す。後は15メートル下流、左側の1メートルほどの滝をひとつこなすだけだ。
◇哀しい風景
レイナの下流約100メートルのところに、突如、極めて場違いの風景が現れる。ダム工事現場だ。このダムが完成すると、「レイ」以下、今日下る瀬はすべて消滅する。生活のためのダムと自然のバランス。よそ者の私には何も言えないが、赤土の剥き出しになった風景は哀しい。
◇ワン・アイ・ジャック(クラス5+)
ダム工事現場のまっただ中にあるビオビオ川最難の瀬、言わば最も危険な瀬。流れは全くの直線。10メートル間隔ぐらいで3段の滝が連なっている。落差は順に約2メートル、2メートル、3メートル。問題は、ここで川幅が10メートルほどに狭まるため、流れが今までまでになく速いということだ。1段目の滝の飛沫が、2に段目を飛び越え、3段目に直接かかっているといえば想像がつくだろうか。もうひとつの問題は、3段目の滝つぼ右に岩が覆いかぶさるように張り出していて、出口の流れが狭まっていることだ。1、2段目でバランスを崩し、右に振られると3段目の滝から直接岩に飛び込むことになる。下見にかなりの時間を費やしたが、その間一艇も挑んでこない。参考にならない代わり、おかげでこれ以上怖気づかずに済んだ。
しかし、ここでもガイドが私を不安にさせる。前にも増して無口になった彼は、私がルート尋ねても真顔で流れを見つめたまま、無視している。流れを見つめていると、岩に激突して砕け散る自分の姿が見えるような気がする。暗い気持ちで回りを見回すと、サングラスをしているので表情をよくわからないが、他の人も頬のあたりに緊張にじませている。このとき、もしだれかやめると言い出したら、私はためらうことなくそれに賛同しただろう。
ガイドが何も言わず踵を返し、艇の方へ向かっていった。とうとうやるのか。艇に戻る。ライフジャケットをきつく締め直す。ヘルメットをかぶる。手が震えている。口の中がカラカラに乾いている。ガイドの指示で、私はポジションを前に移す。船首側3人構成の極端なと前方加重姿勢。これは、この瀬では下手な操艇より、強烈な巻き波を力ずくで突き破る方が有効である、ということを意味する。この期に及んでガイドからの注意事項などはない。彼はオールを握ると「バモ(行くぞ)」と言って漕ぎ出した。
流れに出る。
「アテント!、アデランテ!(集中!漕げ!)」
流れが速い。滝の音が不気味に響く。瀬が近い。「漕げ!漕げー!」。滝の飛沫が見える。流れが速い、速いぞ。「前方加重!・・・」言われるまでもなく、艇にしがみついた。真っ白な壁が迫る。真上からドラム缶で水をかけられたような衝撃。艇は完全に水中に没しているようだ。目の前で気泡が踊る。突如水の壁が切れる。が飛まつで何も見えない。かろうじて、1呼吸ついてたところで、2段目に飛び込んでいった。まさに宙を舞うようなスピード感。再び気泡が目前を走り回る。水面を突き抜け空中に躍り出る。もうすでに3段目に突入している。このとき、まず目に入ったのは,例の岩の上にいる人の顔だ。飛び移れそうなくらい近い気がした。ついでその下の黒い岩璧が目に飛び込んできたときは全身の毛が逆立った。「!!」。言葉にならない、ただ「突っ込む」と思った。次の瞬間、岩は頭上に飛び去り、その下の白壁に頭から突っ込んでいった。息つく暇がなかったので、したたかに水を飲んだ。しがみついていた艇が、いきなり左によじれる。岩にひっかかったか。ほうり出されないように必死にしがみつく。子供のころ、海で波に巻かれておぼれかけた記憶がよぎる。それとも今、実際におぼれているのかもしれない。水面がどこにあるかも分からない。苦しい。
突然、艇は水面に浮かび出た。息をしようとして、しずくを吸い込み激しくもせる。振り返ると、ガイドは立ち上がってこぶしを突き上げ、奇声を上げている。体中が濡れ雑巾のように重い。艇のヘリに座りこむ。艇にはバスタブのように水がたまっている。パドルを1本流失。気が付くと、私のかけていたスポーツクラスがなくなっていた。恐らく3段目で吹き飛ばされたのだろう。水が抜けるまで、ゆるゆると流されていく。さっきまでの緊張の糸が切れ、体中が堪えようもなく震えている。生きててよかった。水面には1面細かい気泡が浮かび上がっている。瀬から遠く離れても気泡は途絶えることはなかった。
◇また、しくじった!
この後、ふたたび昨日と同じミスをする。また難関の後でしくじった。そこは見た目何の変哲もない瀬だった。本流中央に3角波が立っている。そこに突っ込んでいく。ひとつ、ふたつ、3つと越えていくうちに、波が次第に大きくなっていく。不安を感じながら、ひときわ大きな波を越えたとたん流れが左に折れて、なすすべもなく艇は外側の岩にぶつかった。今までにない大きなショックのあと、艇は大きく左に傾く。水が流れ込んでくる。頭から水をかぶる。幻覚のように目の前を気泡がちらつく。しっかりつかまっていたはずが、体全体を大きな手にすくいとられるように艇から剥ぎ取られる。艇の外に放り出されながらも、左手はまだロープをつかんでいる。水面に浮かびでると、ガイドがまだ艇の上に立っているのが見えたが、次の瞬間艇が転覆し、彼もほうり出された。黒い船底を見せたまま、艇はゆっくりと流されていく。一瞬のような気がするが、スローモーションのように思い出される。ガイドが船底によじ登り、ロープを使い艇をおこす。続いて私の艇に這いあがる。何かやたらおかしくと、大声で笑ってしまった。
他のクルーは2人とも岸に泳ぎついている。クイックレスキューのカヤックは、流されたパドルとなぜか日焼け止めクリームを回収して持ってきた。他のクルーの顔を見ながら、依然として私は笑っていた。この時になって他のもう一艇が近づいてきた。そちらに乗るガイドは私たちに何が起こったかを知るとニヤリと笑い、笛をひと吹きし、胸のポケットから何かを取り出して高く掲げるようなしぐさをした。「イエローカード!」。ほっとけ。
◇旅が終わる
午後遅くの日差しの中、瀞場を流れていく。一昨日前方に見えていたカジャキ火山も、今ははるか後方だ。すぎてきた数々の瀬の激しさを思い、川面を眺める。川はもうあくまでも穏やかだ。艇のヘリに座り込み、遠くの山なみを眺めながら、漠然と旅の終わりを感じ始めていた。艇が岸につけられる。最後の上陸地点ラルコだ。120kmにわたる旅が終わる。岸に真っ赤なジープが待っている。10人がかりで艇を持ちあげ、ジープの荷台に乗せる。車が動き出す。ゆっくり走り去る艇の後ろ姿を眺めながら、私は何を考えていたのだろう。
◇エピローグ
この後、ダムは完成し、このレポート後半にあるクラス5の瀬はもうなくなってしまいました。さらに2000年にはもう少し上流部に二つ目のダムが完成しホワイトウォーターゲレンデとしてのビオビオは消滅してしまいました。
(了)
