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パタゴニア最高峰サンバレンティン峰を目指していたチリ選抜遠征隊は、1992年1月22日メンバー6名全員が登頂に成功した。これはチリ隊としての初登頂という快挙であった。ここに登頂隊隊長による遠征の記録を記す。
◇プロローグ
パタゴニア最高峰サンバレンティン峰(4,058m)は氷河と原生林に囲まれており登頂はおろか取り付くことすら非常に困難な山だ。その頂上を目指すには、フィヨルドを船で渡り氷河舌端に上陸、海抜0m付近から山頂までの標高差4000m余りのほとんどを氷河の上を登って行かなければならない。


◇アプローチ
一行は夕刻のプエルト・チャカブコ港を出港しサンラファエル氷河を目指す。翌朝氷河に到着、舌端部横に上陸し森林管理官詰所まで荷揚げし装備チェックを行なった。数日間小屋にとどまり氷河の状態を調査しルートを検討する。その後標高420m地点に第一キャンプを設営した


◇前進
第一キャンプを出発。サンラファエル氷河は過去40年で70m後退しているのでしばらくサイドモレーン沿いに前進する。ある程度上部まで上った地点でクレバスを飛び越え氷原に入る。6時間で9km前進し、第二キャンプを設営、装備をデポする。その後3時間で第一キャンプへ戻った。
第二キャンプを出発する。ここから先は傾斜がややきつくなるので、スキーを使えずアイゼンとピッケルを使用してソリを引いて行く。そのあまりの困難さにわたしたちはこの坂を『悲痛の坂』と名付けた。この『悲痛の坂』を登り切ってみるとさらにその上部に二段の坂が続いているのを見て大いに落胆する。それでもこの日は隠れクレバスに注意しつつ12km前進。17:00頃標高1,200m地点に第三キャンプを設営した。


1月17日に第三キャンプを出発。わずかにクレバスがある穏やかな氷原の中を進む。嵐が近いことに気づいたので先を急いだ。第四キャンプを標高1,530m地点に設営。キャンプ設営後まもなく嵐に見舞われた。このパタゴニア特有の嵐は3日間荒れ狂い、わたしたちをキャンプに閉じ込めた。
1月21日、晴天。真っ青な空に太陽が輝いている。キャンプを撤収、出発した。斜面に沿って幾つかのクレバスを越えて進む。南側正面に岩と氷に覆われた「ラトーレ峰(La Torre)」がそびえている。夕刻にセラック帯(クレバス帯)に到達。昨年チリ隊がこの地点まで来ているが巨大なクレバスにはばまれ撤退している。ルート偵察の結果、条件は良いことがわかった。しかしソリを引いて急勾配を登りクレバスを越えるのは困難が予想された。前進に手間取るとそれだけ雪崩に遭遇する危険性が高くなる。ルート偵察を終えると、標高2,000m付近、クレバス帯の手前に第五キャンプを設営した。この地点から頂上アタックをかけることになる。登頂の成否はこの巨大なクレバス帯の突破にかかっていた。


◇頂上アタック
翌朝まだ暗いうちに準備を始める。アタックに必要なスノーハーケン、ロープ、カラビナなどを背負い出発する。テントは解体し他の装備とともに残して行く。氷の状態がよく、スキーで前進する。危険地帯はロープ、スノーハーケン等を使い、息もしないぐらい注意深く慎重に越えて行った。
このクレバス帯を越えると雲海の中から太陽が顔を出した。第五平原の上で北に方向転換する。この時、わたしたちの前方の氷河棚の上に氷の坂に守られたサンバレンティン峰がそびえていた。わたしたちはスキーをアイゼンにつけ替え南東方向へ進んだ。一対のクレバスを迂回し勾配45°の坂に取り付いた。稜線上はアイゼンも食い込まないほどの堅くしまった氷に覆われたいた。その後大理石のような大きな岩が稜線上を遮っていたので迂回しなければならなかった。


最後の80mは60°~70°の斜面が頂上まで続いていた。1月22日、13時間に渡るアタックの末、わたしたちは頂上にたった。高時計は4,060mを指している。頂上で写真を撮影し、登頂の証拠としてアルミのハシゴを残して来た。頂上に1時間滞在した後同ルートをたどり第五キャンプへ戻った。この頂上アタックには21時間を要した。これがチリ隊の初登頂であった。
第五キャンプからサンラファエル湖のほとりにある森林管理官の詰所にまで下りるのに3日間かかった。さらにそこで5日間滞在し、迎えの船を待った。
(了)
訳:平岡 健二(Patagonia Expedition)
